第23話
《学園都市線? それとも札沼線?》
5月30日
正式名称は札沼線。ご存知のように 札幌駅から留萌線の沼田駅までだったものが それが戦後「中とっぷ駅」より先が廃線となり 「中とっぷ駅」を新十津川駅と改名。 後に路線も通称名で学園都市線としたわけです 。 「学園」は、札幌に近い路線に 北海道教育大学や北海道医療大学などが あることからだと思います。
ネットを見ていても
この二つの呼び名が混在していますが、
「ローカル線」とか「行き止まり駅」とか、
その情感やノスタルジーを楽しむ旅人には
やっぱり札沼線ですよね。
ここ新十津川でも年配者は札沼線が多く、
若い人たちは逆に学園都市線です。
だって、車両にも学園都市線とあるし、
「少しは都会的な香りがあった方が」
って、
そんなあこがれってあるでしょう?
だけどそうは言っても、
月形駅から新十津川駅へ向かう車窓を見ると、
「こんな所が学園都市なんておこがましい」
と思うかもネ。
実際その通りで、
途中途中の駅にしてもそんな
「学園」とか「都市」とかいった
近代的なイメージとは全く、
本当に全くかけ離れた存在です。
だけど少しだけ、
ほんの少しだけ意味づけられることが
ありま~す。
それは、まず最初に、
「新十津川駅を降りた地区から駅の反対側、
西方向へと『学園地区』と言われていること。
通りも「学園通り」だよ~。
まだ2つ目もあるんだからネ。
「吉野地区に向かう途中の地名が『学園』!」
えっ? ちょっとこじつけがひどすぎる?
でも、統合で今は廃校になってるけど
「学園小学校」だってあったんだから。
それに学園沢川、学園橋
無茶? やっぱり……そうか
そうだよネ。
前にも書いたけど、
吉野地区は日本海の浜益町に越えていく
山の入り口。
その手前が学園地区で、そこは左右たんぼばかり。
「学園」というより「田園」だけだもんネ。
まして「都市」となると……
だけど良いところなのに。
私はそこの道をのんびり車を走らせるのが
好きなんだけどな。
でも、これ路線にも駅にも関係ないですよネ。
第22話
《花飾りが始まるよ~》
5月26日
駅や病院の花飾りの準備が始まりました。
重機で地面を15センチ位掘って
有機肥料入り土壌と入れ替えです。
ただ草が根深く砂利や石ころだらけ。
何とか花の帯でつながるようにと
がんばっているのですが
なかなか苦戦の様子です。
仕事中、みんなそわそわ
窓から時々外をのぞいています。
でも一面おおい茂ってきていた草が
取れてくると、回りを広く感じます。
それに、何とはなく完成イメージも
私に理解できてきました。
農業高校の校長先生や担当の先生も来て
病院スタッフと最後のチェックです。
花苗はもっと増やし、
3回くらいに分けて植えることになりました。
スタッフ全員が植えるにしても、
公休だったり当直明けだったり、
それに日勤であっても病室を、現場を
離れられない人も多いからです。
あとは2万本近くを予定しているコスモスの
種がうまく育つかどうかが最大のかぎのようです。
この日曜日の朝は
町役場やボランティアの人たちで
毎年恒例の駅の清掃をする予定ですが、
病院からは「花飾り委員会」の
有志数名が参加します。
そうだ、駅前の案内看板がリニューアルされました。
とてもわかりやすくなっています。
あれならもう道に迷うことはないと思うわ。
それとお知らせが一つ。
6月18日19日は
「新十津川町陶芸まつり」
だからね。
これは近くなったらまたご案内します。
第21話
《新十津川農業高校は》
5月24日
誰かが、「駅」「高校」「病院」の3つが
あることが市町村としての「三種の神器」
なんて言っていました。
新十津川町は一応そろってはいるのですが、
規模や設備など決していばれるような
状態ではないと思えます。
ただです。それでもこれだけは言えます。
「小粒だけど、
みんなそれなりにがんばってるんだぞ!」
って。
新十津川農業高校もユニークな学校です。
色々な方面に挑戦的で、育てた花苗を
公共施設に植栽したり、
老人宅へのサンタボランティアなど
幅広い活動で町や地域との密着共生。
農業実践においても栽培管理だけでなく、
「採れたものをどう生かすか」
などと、創造性豊かな俊英がそろっています。
昨年生徒グループで考案した
“いんげん豆入りミルクプリン・インプリ”
などは全北海道のサークルKサンクスで
売り出したところすぐに売り切れ、
材料が足りなくなって相次ぐ追加注文に
応じられなかったくらいです。
今年も“インプリ”?
それとも新しい何かかな?
私は数は少なくていいから、
「生徒たちが育てた、もしくは
ここ新十津川町で採れた材料で、
ここのどこかのお店でしか食べられない
手に入らない何かを、生徒たちがまた
自らの手で作ってくれたらいいな」
なんて思ったりしているのですが。
これ、私だけでなく、
旅してくるみなさんだって食べてみたいでしょ?
病院にはこの農業高校出身のスタッフもいます。
高校と共同して新十津川駅前を花で飾ろうという
計画はいよいよ目前に迫ってきました。
すでに4千本余りの花苗が背筋を伸ばし、
「まだかまだか」
と、その出発の日を待っていると聞いています。
第20話
《やっぱり素敵!》
5月20日
東京の従妹と電話で話していたら、
「まだ桜なんてやってるの?」
って言われました。
でも北国としては、
4ケ月間のただ真っ白い世界が
一気にカラフルに変わっていくこのまぶしさを
「ここで!」
って、やっぱり大さわぎしないとネ。
だから今日もあきずに“さくら”です。
ある人がこんなことを言っていました。
「ブラジルを車で走っていると、
所々に竹やぶがあるんだけど、
そこは必ず日本からの移民の人たちが
住んでいた所なんだ」
と。移住の時、日本の竹を
持っていったらしいのです。
竹で家の周りを囲むことで、
日本を身近に感じていたかったのです。
同じように、
十津川村から移住してきたこの地区でも、
“さくら”を家の庭先や田の側に植えたようです。
朝起きた時、働いている時、
やはりいつも母村を感じていたかったのでしょう。
車で走っていてもそんな面影がしのばれます。
他の地方はどうなんでしょう?
今日はそんな里に咲く“さくら”をご紹介します。
そして締めくくりは新十津川の駅です。
もう夕方近くでしたが、ひっそり、
ぽつんとたたずんでいました。
造りだって質素だし、年代を経ていて、
また小さくて、
見栄えも決して良くはないのですが、
「やっぱりここが一番すてき!」
思わずほほえんでしまいました。
散り始めたさくらの花びらが風に舞い上がり、
高く駅舎をおおっていきました。
第19話
《季節は今まさに……》
5月19日
ここ中空知の景色は日々刻々と変化しています。
人でいうと中学生から高校生、 青春まっただ中です。
そんな時期、私がいつまでも落ち込んだままでは
役目が果たせませんので、
気を取り直し、いつもの自分に戻って
楽しい旬な情報を発信していきたいと思います。
本当にこの季節は最高です!
辺りはどこを観ても
やわらかい色彩の紅葉というか、
素晴らしいコラボレーションで
私たちを魅惑、また和ませてもくれます。
私はうれしくてあっちこっちと飛び回りました。
16日の月曜日、最初は大和地区、
次に学園地区、そして吉野地区へ、
更にその山上の方まで。
ただ吉野地区はまだ3部咲き、
浜益方面への峠道は
さすが春が訪れたばかりのような景色で、
残雪の間から「ふきのとう」が顔を出してい ました。
「いけない」
とすぐ学園都市線沿線へと折り返し、
今度は鶴沼公園から例の秘境・豊ヶ岡の駅周辺を
裏のほうからまわってみました。
淡いピンクの山ざくら、
それに山々は濃淡緑だけでなく、
中には赤また黄色など色とりどり、 どこをどう切り取っても素晴らしく
ルノアールなど印象派の絵画のようです。
この季節のことを、
これ以上私のちせつな言葉では
表現しきれませんので、
あとは写真でじっくりご鑑賞ください。
それに一つ。
信号が鳴り出したのでかけつけると列車が、
それはそれでまた感動です!
第18話 《まだ心が……》 5月18日 昨日の重い気分がまだとれません。 複雑な思いがうずまいています。 あの“さくら”は確かに古木です。 腕は折れ、体も蝕まれています。 また風雪に大きな腕を折られ みなさんにご迷惑をかけるかも知れません。 でも力一杯に花を咲かせています。 本当に、誰が観ても素晴らしい花です。 病院は年配の入院患者さんがほとんどですが、 みんなで一所懸命お世話をして、 もしそこに不幸な結果が待っていたとしても、 楽しく天寿を全うして欲しいとがんばっています。 だから“さくら”もと思ったのですが…… 人それぞれの思いがあり、事情もあり、 また私は部外者でもあり この件についてもう書かないつもりでしたが、 でも言葉を発せない“さくら”の木に代わって、 やはりどうしても誰かが言っておかなくてはいけないと思います。 「おろかもの!」 “さくら”の不運は 人目につきにくかったことが原因かもしれません。 通りからは建物で見えづらく、遠くからでは大きな北海道の自然に埋没してしまいます。 側に立って初めてその偉大さを知ります。 だから町の多くの人たちが“さくら”の存在にすら気づきませんでした。 この私も今回の写真を見せられ、 「どこに?」 と思ったくらいです。 私を含め、みんな余りにも“さくら”の事 町の事を知らなすぎました。 それまで一部の人たちだけで“さくら”を支え 一所懸命世話してきたこと、だからこそ豪雪の、 零下15度という厳しい冬や白樺並木が傾くような この地独特の強風にも耐えられてきたことなども。 “さくら”は決して恨んだりしていないでしょう。そんなみなさんに感謝していると思います。 だからこそ…… 自戒をこめて私に対して言います。 「おろかもの!!」 “さくら”が明日までの命と聞いて 一人お別れに行ってきました。 側に立つとその迫力に圧倒され、波動まで感じ ました。 こんな近くに初めての対面でした。 両手を幹にあて一緒に深呼吸を、そして 「本当にごめんなさい」 とあやまりました。 花びらが涙のように落ちていきました。 あの不幸な“さくら”の子供たちを 病院のみんなで育てようと相談しています。 幹周り2m80センチという“大さくら” 下周辺を涙ながらに注意深く調べると、 昨年落ちた種から出てきた新芽があったそうです。 まだ本当に小さく、雪解け土の上に2枚の葉を出したばかりのものです。 全部で50本余り。 これらがしばらく新十津川農業高校で保護育成していただけることになりました。 そこで風雪にも耐えられる大きさに育った頃、 新十津川駅の前、 そしてその対になるよう病院の庭にも植えて、 駅を訪れる全ての人たちを魅了するような 「北海道1番の華やかで艶やかな色彩で飾れるよう」 そんな夢を描いています。 子苗が予定通り数多く育ったなら、 大切にしていただける希望者の方々にもお分けして 全国色々な場所で 一杯に花を咲かせてくれればと願っています。 そうなる事があの“さくら”が生きてきた証ですしせめてもの救いです。 やがて次世代にも、 そしてまたその次世代にも引き継がれ、 本当に親をしのぐような大木になって 必ずや親にも負けない位にあの色鮮やかな花を、 青空一杯に広げ咲かせてくれるでしょう。
第17話
《北海道1番の“さくら”》
5月17日
ここ中空知の平野部では、昨日今日が 「さくら」の満開日です。
私も公休と有休を利用してあちらこちらと走り まわりました。だからそれらの事を
ホームページに掲載しようと昨夜から色々考えて いたのですが、
今朝あることを知って急に落ち込んでしまい、 ちょっと複雑な思いで書けません。
だからそれらは次降に回したいと思います。 今日は「さくら」の写真だけを掲載します。
この「さくら」は新十津川開拓当時からのもので 幹の太さとそのごつごつとした感触は 野性的というか、北海道的というか、 他の種の「さくら」とは明らかに違います。 あの「ハルニレ」(幹回りが3m80㎝)が 樹齢200年以上である事からすると 「さくら」の幹回り2m80㎝は樹齢150年以上、 もしかしたら「アイヌ」の時代から すでにそこに立っていたことなります。 昨年で新十津川入植120年ですから……
種類は誰もわからないそうです。 また名前もありません。
ただ「そめいよしの」よりは、ピンクが色鮮や かで、この地方に多い「えぞひがんざくら」より 花付きが多く、枝ぶりも周囲に大きく広げて います。
たったこの1本の“さくらの木”だけで、 周囲を明るく照らし人々の表情まで変えてしまう そんな華やかさや艶やかさまで兼ね備えていて、
「こんなの観たことがない!」
とみんな驚嘆・感激します。
その分、雪の被害にあいやすく、またこの地方 独特の強風にもさらされ、現に数年前、大きな 枝が2本折れてしまいました。 それでも北海道一番、いえ全国的にも指折りの素晴らしい「さくら」だと思います。
この新十津川町に旅してこられるみな さんにもこの見事さを是非堪能してもらい たいのですが ……今年がもう見納めなのだそうです。 いま強い風が吹いています。
わたしはこれ以上はもう書けません。
第16話
《“山わさび”って知っていますか?》
5月14日
「わさび」というと静岡県伊豆や長野県安曇野といった所の
清らかな流れが頭に浮かぶ人が多いのでは?
その「わさび」を漢字で書くと「山葵」だから、
「山わさび」は「山山葵」ということになり、“深山の”、そして岩はだから滴がしたたり落ちているような細い清流などに“自然に”生えているというイメージです。
実際北海道では自然群生しているのだけど、ただそれは深山ではなく、そこらあたり粘土質の田畑あぜ道などであって、そんなに珍しくもなく、それどころか農家によっては厄介物扱いすらします。
ただ「わさび」といえば高級食材。
こんな話を聞くと、
「そんなもったいない!」
と思われる人も多いでしょう。
だけど早がてんしないでネ。
「山わさび」とはみなさんが
イメージしているものとは違って、
明治時代食用に輸入した外来種、
それが北海道で野生化していったものです。
正式名は「ホースラディッシュ」
ラディッシュなんていうと
ちょっとおしゃれに聞こえるけど、
日本語に直訳すると「馬ダイコン」
その色も緑ではなく白。
だから今度は急にありがたさがなくなって、
「まずそう」
「そんなものいらない」
なんて言う人も出てくるかも。
でもそれも早がてんだからネ。
これ、珍味?いえ美味だし、北海道のひとたちにとっては待ちに待った春そのものだからです。
雪をかき分けてでも掘り出し、それをすり下ろしたものを暖かいごはんにかけて食べると、ツーンと鼻から目にとあがってくる香りが何とも言えない感激で涙腺も緩みっぱなし。祖父や両親などは
「春がきた!」
と赤顔涙目になって味わいます。
ただ私はちょっとこれが苦手、ハシ先でほんの少し乗せお付き合いです。それでも体一杯春になってきます。
北海道の春、みなさんもぜひ味わってみてください。
第15話
《出雲大社(いずもたいしゃ)に願いをこめて……》
5月11日
滝川駅への右コース、
石狩川にかかる滝新橋の手前、
今日はそこを左に折れ、
堤を新十津川橋の方向に歩いてみましょう。
延長約3キロの散歩道、
とりたててこれといった物はないのですが、
途中にベンチやあずまやが点在していて、
地区の人たちのいこいの場所になっています。
「ピー ヒョロヒョ」
とトンビが大空を舞っていたり、
河川敷の林からカッコウやウグイス
の鳴き声が聞こえてきたり、
お弁当を広げると
ちょっとしたピクニック気分です。
近くに友達の家があり、
高校時代の休日前や夏休みなんか
わいわい徹夜のまま、
グランド土手の板段に座り
石狩川の向こうに昇ってくる朝日を
よく見ていました。
そうだ、まちがえないでネ。
あれ、上り下り用の階段ではないんです。
どうも野球やサッカーの観覧席らしいんです。
わたし当時、
「ずいぶん幅の広い階段だな」
とは思ったんだけど、やっぱり……
その堤から北西方向に夫婦山も観えますよ。
例のパワースポット、霊泉水の湧く場所です。
そうだ、それを言うと
もう一つ大事なパワースポットが。
今も時々立ち寄る場所、いえ以前より増えたかも、
堤のすぐ横にある出雲大社分院です。
立ち寄る理由?
それは聞かないで。
神社に参拝すると隣接する菊水公園に。
そこに「ハルニレ」の木があるからですが、
この木、大木とまでは言えないものの、
樹齢200年は優に超えていて
私にはとても抱えきれません。
新十津川開拓当時から
ずっと人々を見守ってきた町のシンボル樹です。
私は手の平を幹にあて、
木と一緒にゆっくり呼吸をします。
幹から私の体へ、そして私から木の幹にと
エネルギーの交換です。
これ、誰か見ると
「変な人?」
でしょうね。
でも、わたしは真剣。
体がだんだん浄化されてくるのを感じます。
それに木ととても仲良くなれた気もしているんです。
第14話
《霊泉の水、パワースポットだよ??》
5月5日
ここ新十津川町は奈良県十津川村の
大災害で移住してきたと以前書きましたが、
地名にもその母村の名残が色濃く出ています。
最初に入植したといわれる場所が大和地区。
まさに大和の国、奈良県の事です。そこに鎮座する新十津川神社も、 古(いにしえ)より母村に奉られてきた玉置神社から御分霊を奉斎したものです。
また吉野地区の「さくら」なんて、
「神が宿る」と山岳宗教修験道の場
として知られる奈良県吉野山、
太閤秀吉が徳川家康ほか諸大名など
5000人を集め大花見大会を催した事で
有名なその「さくら」の名所に
ちなんだものだろうと推測できます。
その他にも名水として地元で良く知られる
「夫婦山霊泉」
小さな富士山がちょこんちょこんと
二つ並んだ感じの山のふもと、
そこは一部マニアにパワースポットと
されていて、湧水の近くには四国八十八ケ所
霊場の石仏が並んでいます。
そのいわれは色々あるのですが、
自らを十津川武士と名乗る私の祖父などは、
「霊験あらたなる玉置神社の十津川村と、
神の地・吉野山、
そしてそのトライアングル頂点に
位置するのが平安仏教総本山・高野山。
つまり、その1200年前の開祖者である
弘法大師様にちなんでのものだ。
湧水といえばお大師様!」
と頑固一徹、言い張っています。
弘法大師様にちなんで、ここでは四国八十八箇所をおまつりしていると 言うのです。確かに、新十津川神社から西の方向に吉野地区、そして北西に位置す る夫婦山霊泉と、少しいびつではあるものの同じくトライアングルの頂点、
「だとすると本当にパワースポット!?」
なんてネ。
私にはその真偽はわかりませんが、この町の人たちは、遠く生まれ故郷 を離れていてもその心の中ではずっと一緒だったことだけは確かです。 祖父に伝わる昔話を聞くと、その初代の人たちは、泥炭の原野を切り開き 田畑を起こし、作物の種を植えながらも故郷の野山を想い、そしてその過酷 な労働の疲れをいやしていたのがわかります。
新十津川町はそんな人たちの子孫の町です。だからこそ、母村にもなかっ た鉄道路線、そして戦後に名前も変えた新十津川駅に思い入れが強いのです。
第13話
《春はやっぱり“さくら”?》
4月29日
「春の花は?」と聞けば、多くの人が
「さくら」と答えるでしょう。
北海道など北国では、春一番に咲く
このあたりで今年満開になるのは
連休を明けてからになるのではと予想 されています。
札幌は円山公園などが有名ですが、
学園都市線沿線の駅近くでは特に
名所といわれる所はありません。
おとなり浦臼町の花見所・鶴沼公園は、
その駅から歩くには少し距離があるし、
新十津川町の吉野なんかはずっと遠く、
日本海の浜益町に超えていく山の入り口だしネ……
でも列車からたまに見える「さくら」は、豪華絢爛といった華やかさ 鮮やかさはないものの、ぽつりぽつりだからこそうれしくて、旅情を、 そして何か心温まってくる風情を感じさせるのだと思っています。
石狩川向う岸の現代的でスピード感ある特急本線に対し、ただこつこ つと、そしてゆっくりと歩んできた札沼線農村地帯の、そこに住む人た ちを重ね表していると思います。
第12話
《今度は右ルートだよ》
4月27日
前回は滝川駅への左ルートを書いたから
今日は右ルートを書きます。 左とほぼ同距離、約4キロのコースです。
病院の前を通ってまっすぐ。
すぐ突き当たるので右、そして信号を左。
あとはただひたすら目の前の方向にです。
やがて信号のある大きな交差点。
右斜め前にコンビニがあるけど、
自分の左手に建っているログハウスに注目。
レストラン「フォルテ」です。
それなりに目立つ建物だと思うのに、
看板も小さくて
「店だと知らず通り過ぎる人も多いのでは?」
なんて思ったりするのだけど、
ネエ……みなさんはどう?
店内はおしゃれに暖炉が2つ、
料理の彩りもすてきで
ちょっとの休憩やランチに良いですよ。
「そうだ、パンプキンパイを食べてから」
と思ったのだけど、今日も私は道案内人。
あきらめて、おなかのすいたまま
信号を越え滝新橋・滝川市方面へ。
途中左への堤伝いの道は地元いこいの 散歩道です。
これ、途中から「とっぷ川」の河川敷に変わって、
先日の新十津川橋の向こうまでずっと続いています。
ただここは次へのお楽しみ残し、
まっすぐ滝新橋の方を渡りましょう。
長い長い橋、
これ今日の私には良すぎる?運動みたい。
橋を越えると坂を下らないで、
堤を左に曲がると滝川駅への近道よ。
それに石狩川の景色を気分良く眺めながら
少し行くと、グライダーの飛行場もあるんだから。
スカイパーク・滝川。
例年4月中旬オープンでもう始まっています。
大空から空知の平野やピンネの山々を
グルッと見渡せるんだよ!
もちろん、シーズン中は誰でも。
第11話
《滝川駅へ 左ルートから》
4月22日
慣れてきたからなのか、
それとも春を感じてなのか、
少しずつだけど緊張が解けてきました。
駅を出て右手に見えるのが私の勤めている病院です。ちょっとそ れを斜めに見上げながらすぐ左に曲がります。滝川駅への左手方向 回り旧来ルート。
約4キロメートルだから普通に歩いて1時間ほどです。タクシーで そのまま行く人もいるようですが、せっかくだから今日は歩いてみま しょう。3、4分で大通り。
普通、ここで「じゃあバスは?」
とも思うのですが、残念、
バスは昼間は1時間に1本くらい。
それにバス停は「役場前広場?」 「コンビニ前?」、
地元の人でも良くわかりません。みなさん、 だから今後はこのホームページの案内版で詳しく 説明します。迷わないように良く見てネ。
私はこのままゆるやかな坂に向かいます。途中、 すぐの右手が「ヴルストよしだ」、手作りハム・ ソーセージのお店。材料にもこだわっているから 少し値段がはるけど、とても美味しくて遠くから の注文も多いんだヨ。
また歩き始めると今度は左手の屋根上に何だか 大きなクジラのオブジェが。
「な、何でクジラなの!?」
ってみんな思うみたい。
この町で数百万年前かのクジラ
の化石が見つかったからなんだけど、
こんな内陸部が海だったなんて、 まして数百万年なんてもう想像がつかないもの ここは地元物産展のお店。
2階で食事もできます。
コーヒーは250円、お気楽にどうぞ。
坂を上り新十津川橋に立つと、
廃線となった沼田駅へ向かう橋梁が水道橋 として左手方向に、そして眼下には「とっぷ川」 の流れ。
ねえ「とっぷ」だよ「とっぷ」。
縁起が良いでしょう。
今は雪解け水で流れも速くなっています。
もっと進みたかったけど、今日はここまで。続きはいつかって?
うーん……またネ。
第10話
《泳げ こいのぼり》
4月20日
5月5日は子供の日です。
空を見上げていると
「屋根より高いこいのぼり……」
だけど子供たちも患者さんも大喜びです。今年はポールが2本に 増え、吹流しの下にかわいい「こい」が新たに4匹も。そして去年 のも合わせた合計7匹が、春の風に気持ちよさそうに泳いでいるからです。
旅してくるみなさん、列車で新十津川駅に着く時、ちょっと右手 を見てあげてください。でも
「な~んだよ」
なんて笑っちゃダメなんだからネ。
今病院では「みんなが楽しくなる企画」を色々募集していて、 本当は
「使わなくなっている『こいのぼり』を集め、屋上から綱を引いて 泳がしたら」
という女性陣からのプランをやってみたかったのですが、残念、 ちょっとタイミングが遅く今年には間に合いませんでした。保全課 からは、「この季節は風が強いから負荷がな……」
なんて、不安の声も出たりはしていますが、
「そんなの、私たちみたいなカワイイのだけにすれば良いでしょうに。 来年にはきっとだからネ!」
異議も唱えさせない、そんな強い掛け声で気分は高揚しています。 その保全課の人、提案の一部内容に、
「……!?」
一瞬目を丸く言葉も失ってはいましたが、それはそれ、最後は素直 にうなずいておられました。
ここ中空知の長い雪のシーズン、晴れていてもそれはほんのつかの 間ですぐ急変。それがこの季節になると天空に壮大な北海道の青空が 広がってきます。
そんな中、こいのぼりを悠然と泳がしてあげたいでしょ?
第9話
《あれレレレ……雪が》
4月17日
驚きました。雪が降っています。
このところの暖かさに、
「このまま春に」
この地方では決して珍しいことではないのですが、冬が戻ってきた というより、もうすっかり忘れていたものが急によみがえっていたと いうか……うーん、何かそんな感じです。昨夜は祖父が採ってきた フキノトウで口いっぱいに春を味わった後だけによけい感じます。
せっかくの早起きだから、降り続く雪の中を散歩してみました。 場所によってはもう10センチに。
そんな中に、一羽だけ悲しそうに 鳴きながら同じところをあっちへ行ったり こっちへ行ったり。よそ見でもしていたのか、
私に似ていてちょっと気がかり。でも次にきた 仲間達に合流して飛んでいきました。
一応ほっとです。でもでも、
「そうだ、ヒバリは?」
と今度はヒバリが心配に。あんなに喜んでいただけに、驚いた くらいではすまないでしょうし。
しかしこれも大丈夫、耳を澄ますとどこか空で歌っていました。
やっぱり春ですネ。
第8話
《私の日記担当って?》
4月15日
駅ホームページ案も花飾りからです。
「病院を花で飾ろうよ」
から始まり、
「じゃあ、新十津川駅も」
「町全体に広がるように」
「駅のホームページだって」
と発展してきました。
「1年間、合計50話くらい」
なんて、とても自信がなくてお断りしたのですが、
「思ったことを何でもいいのよ」
とやさしく言われ、
「じゃあ、私のことや友達のことでも?」
なんて頭に浮かんだものだから、一応敬語でおうかがいしてみたら、
「もちろん」
だって。
わたし? だから
「ああ、それだったら」
って、敬語も忘れて即答してしまったんです。
えっ?
そう、そうなんです。冷静になって考えてみたらやっぱり大事件です。 私のことなんて面白くないだろうし、友達との会話だっていつもとりと めのない内容だし……何か? 何か??
って。だけどやっぱり私は私かも。最後はいつものように、
「ま、今考えてもしかたがないし、何とかなるんじゃ」
そんなこんなで、まして私のことだから話があっちこっちと自分でも 予想つかない方向に飛んで行くとは思うのだけど、
果たしてどこまで? 何話までいけるのか? 正直、これも予想つき ません。
でもまずは自分らしく、そしてできる限り回数多く重ねられるよう一所懸命がんばります。
《駅前から通りまで花いっぱいに》
4月12日
ここ数日、一挙に雪が解けてきて
平地での白い所は日陰と雪だまりだけです。
さあ、これからいよいよ本格的な花のシーズン。
寒さが完全に消え去る6月初旬、私たち200名近い女性スタッフを中心に、 駅から道路、そして病院の周りへもと1万本の花で飾る計画です。新十津川 農業高校や地元自治会も一緒。
当初は患者さんやそのご家族、そしてスタッフの憩いのためにと計画され たのですが、
「町全体に広がれば。そして地域の人たちだけでなく、駅を訪れた人たちも みんなが楽しんでくれたらいいな」
なんて思うようになってきたんです。
これからも賛同者を花苗をもっと増やし、そしてまた工夫を重ね、早くそ うなるようがんばろうと誓いあっています。まだ最初の年だから完成図まで は想像できないのだけど、私もきっと何かが変わる気がしています。院内保 育所の子供たちもみんな楽しみに。
今回は全員ひとりひとりに割り当て本数があって、そしてそれぞれが好き な場所に植えることになっています。その後の手入れも自分の責任だって。
私はどこに植えようか、ちょっとまだ迷いが。駅の前と、それに……そう だよね、これってたぶん、
「いくつかに分けてもいいのでは?」って。
第6話
《イエーイ! 学園都市線で札幌》
4月4日
ほんとうに久しぶり。先日公休の日、
朝の列車に乗って札幌へ行ってきました!
同じ路線なのに途中当別駅で乗り換えて
『気分は最高!!』 でした。
まだ車窓は雪景色で特に変化はありませんでしたが、しかしこれが 5月に入ると一変します。こぶしやさくらなど春の花がいっせいに咲 きほこり、新芽の息吹に山々も萌黄色に。私はそんな季節の一瞬が特 に大好きです。みんなで手分けして沿線写真を撮ってきて、
「それをホームページで案内しよう」って相談しています。
お楽しみにネ!!
豊ヶ岡駅のあたりの景色はもう本当に素晴らしいんだから。いやし の場所、写真愛好家の絶好のスポットになっています。路線がほんの ちょっと森に入っただけなのに、幼い頃、月形町のおばさんの家は山 を越えていった向こう側にあるとずっとイメージしていました。これ は私だけじゃないみたい。
そこはそんな秘境を想わせるわよ。ぜひ行ってみてください。
でも、新十津川駅も忘れないでネ。
第5話
《白鳥って冬の鳥?》
3月31日
日本では白鳥を冬と寒さを象徴する鳥と
思われる人が多いようです。
確かに飛来地の最南端と言われる
埼玉県川本町などでは、1月から2月末頃 までの厳冬期をそこに流れる荒川で過ごします。
「春がそこまで来ているよ」
「寒さももう終わりだよ」
と、早ければ3月初旬頃本州から飛来してくるからです。そしてしばら く逗留し、4月中頃から再び北の空へと飛び立っていきます。向かうは遥 かシベリアですが、途中降りたつその地方地方の人達にも、近づく春を伝 えていくのでしょう。
この近隣では石狩川の蛇行跡にできた三日月湖、「袋地沼」で数多く見 られますが、新十津川駅から歩くにはちょっと遠いかもしれません。白鳥 が優雅に泳ぐその向こうに病院の建物が見えるものの、その姿は私の指先 くらいでしかないからです。
でもご心配なく。田んぼの雪が解け土色が顔を出してくると、そこここ に移動していきます。だからもしかして車窓からも見れるかもよ。
手を振ると頭を下げ下げ、きっとあなたに向かって愛のダンスを踊ってく れると思うわ。
第4話
《大震災のこと》
3月27日
病院で地震災害の募金をしました。私たちスタッフ、保育所のこどもたちだけでなく、患者さんやそのご家族まで、大勢の人から寄付がよせられたそうです。
「私も病気で楽ではないけど、もっと大変な人たちがいる」
と、ベッドの上から、また車椅子で追いかけてきてまで募金箱に入れてくれました。
この新十津川町は、明治22年の豪雨で奈良県十津川村の大半が壊滅し開拓農民として移住してきたのが始まりですから、みんな人ごととは思えないのです。今回でも複数のスタッフの親戚が、家が倒壊したり流されたりしたそうです。私も地震のあと、テレビを観るたびに心いたたまれなくなりしばらくはこの日記が書けませんでした。
医師会からの派遣要請に対し、病院としても、医師、薬剤師、看護師などのチームでその準備が整いました。車両、ガソリン、薬、水、食料など全部自前が条件で宿泊先も用意されていないのですが、私も含め「何かお役にたてたら」と色々なセクションから応募しました。ただ、「こういった時は」とベテラン専門職の人になったそうです。
被災者のみなさん、気持ちを落とさずにがんばってください。全国の人たちが、世界のひとたちが応援しています。みなさんの笑顔をみると、 「わたしもガンバルぞ」って勇気がわいてきます。
第3話
《駅ノートを読んで》
3月22日
駅ノートを読みました。書いた人のことを想像していると楽しくなります。
最初あまり記入がなかったけど、今は少しずつ増えています。この季節でも遠くからの人がいるのですネ。去年だったか、雪降る中、凍えながら私に道を聞いた人は兵庫県の明石からと言っていました。
「みんな何を想いながら旅をしているのだろう?」
そんなことも考えたりします。
私が北海道を出たのは修学旅行とあとは一度だけ。休みの時も、たまに札幌くらいまでです。もし時間ができたら、列車で南の方へ行ってみたいと思っています。そして小さな駅に降りて、そこに駅ノートがあったら、その時心に浮かんだことを書いてみます。
第2話
《窓から小さな列車が》
3月10日
遠く建物らしき物の間に光が点ります。そしてそれがだんだん近づいてきて、一面の雪原に姿を現す頃には列車だとわかります。
ただ、無言で静かに静かに。
やがて小さな林を過ぎると左に大きくカーブを切るのだけど、そこで初めて声を発します。
カタンカタン、カタンカタン。
少しクリームがかった白乳色のボディ、横に緑も明るい一両列車。ゆっくりだけど一所懸命。
ネ、かわいいでしょう。
ちょうど昼休み、最上階までかけあがって行きます。いそがしくて毎日は見られないけど、私のお気に入りの時間です。
第1話
《駅 いよいよ出発》
3月3日
もう記念日です。おひなさまの事ではありません。
わたしが駅の日記を書くことに。
「1年間、週に1回くらいのペースで」
「駅や沿線、地域の案内役になれるように」
だそうです。
すぐ行ってみると、今朝までの雪に白く埋もれていました。ホームも屋根も、そして小さな広場は左右私より背が高く。
駅舎を見上げながら不思議な気持ちになりました。これまで毎日見ていても何も感じなかったのに、それが急に私の中で大きくなっていきます。
そういえば以前同じような気持ちになったことがありました。中学生になって制服を着た時、なぜかK君と話せなくて。K君、幼馴染でそれまで平気だったのに
……すみません、思い出してしまって……
ガンバリます。