第117話
《除夜の鐘 聞こえるかな?》
12月30日
年の暮れは除夜の鐘。
NHKの紅白歌合戦を観て
それから行く年来る年に……
これがわが家の定番。
祖父なんか絶対だし両親も。
ただ東京から帰省した弟なんかは
部屋でずっとメールなんかしてるけど
時計が12時に近づくとやっぱり居間に。
たぶん全国どこの家でも同じだと思うのだけど
年を越す瞬間はみんな一緒にいたいから。
その時間帯、テレビでは多くが寺院の映像。
鐘楼でお坊さんが除夜の鐘をうっているのだけど
鐘楼なんて近隣では滝川市にしかないみたいだし
「特別のお寺にしかないんだろう」
って思ってたら、弟に聞くと
関東ではちょっとしたお寺なら
必ず鐘楼があるんだってね。
だから除夜の鐘も当たり前のようにどこでも
聞こえてくるらしいって。
他の地方でもそうなのかなあ?
もしあの大きな鐘楼から直接聞けたら
私の今の煩悩というか悩みなんて
鐘の音といっしょに全部
飛んでいきそうな気がするんだけど……な
だったらもっと0000??なれるのに。
みなさん、良いお年を。
第116話
《病院がリゾートホテル!?》
12月28日
新十津川駅を訪れた人のブログをみていたら
「そこにホテルのような建物が」
といった記述がありました。
最近病院を訪れずれてきた人も
「ここ病院ぽくないよね」
って。
「リゾートホテルみたいな外観」
だって。
確かに建物は左右につばさを広げた派手な形だし
正面玄関へのエントランスも
アール状のゆるやかな坂でちょっとおしゃれ
そして温水プールがあって温泉があって
今は使ってないものの
露天風呂やサウナまであるんだから
設備だけを聞くとホテルと勘違いされそうです。
「でも、それもいいんじゃないの」
ってみんな考えるように。
病院なんて本当は誰だって入院したくないんだし
かといって病気になればしかたがないし
じゃあ入った以上
できるかぎり快適に暮らしたいだろうから
「周りにいっぱい花なんか咲いてて
病院ぽくない雰囲気もステキじゃないの」
「いっそリゾートホテルなみに」
って最近。
だから、設備だけでなく中での生活も
「病気を忘れられるように楽しく良い気分で」
やっぱり誰だってそうだよね?
《砂川市 街頭で“もちつき!!”》
12月26日
お正月が近づくと“もちつき”。
おとなり砂川市では毎年12月に
“街頭もちつき”が行われます。
今年も17日に市内4ケ所の会場で。
明治時代、四国徳島から出稼ぎの人が
遠く故郷の正月を想って始め
街の人たちにそれを配ったのが起源だとか。
今や砂川市の伝統無形文化財
これ、全国的にも珍しい行事ではないかと。
私は“おもち”が大好きなんです。
焼いても、おぞうにでも味付けは何でも。
現代はスーパーでいつでも買えるけど
祖父、いえ父や母の子供の頃でさえ
おもちはお正月か
何か特別な祝い事の時だけしか
食べられなかったんだって。
だから“もちつき”は、大人も子供も
心うきうきする大イベントだったそうです。
そんなことを聞くと
はるか故郷を思い浮かべて始めた人の
そして“おもち”をもらった人たちの
その時の気持ちがとてもよくわかります。
それに“もちつき”って
今の時代だって見ているだけで楽しいものね。
何といってもあのリズミカルで小気味良い音だもの。
とても晴れ晴れしく感じるし
何か元気が出てきません?
第114話
《クリスマスイヴ“雪ふる夜は”の言い伝え》
12年23日
クリスマスイヴといえば、
やっぱり雪がいいよね。
雪のふる夜は本当に神秘的
まず周囲から音が消えます。
静かです。
自分以外みんなどこかへ、本当にどこかへ
行ってしまったのかと思うくらい静かです。
だけど何かを感じます。
おき上がってそっと窓を開けてみると
そこは白い世界
月もないのに天も地もうす明るく
それどころか部屋からの灯りに
光り輝いてさえ見えます。
そんな時
私はいつも空を見上げます。
すると次々と舞いおりてくる白い天使が
やさしくほほをなでていくのですが
私にはこの感触が、ふんいきが
とてもお気にいりだからです。
それは祖父から(第51話)
こんな言い伝えを聞いたからです。
「雪のふる夜は精霊たちも舞いおりてくる。
だから人はみんな素直になれる。
そんな静かな夜、若者は愛を語る」
だから
「そんなのいいよな」
っていつも。
わたし祖父にちょっぴりだけ??似たのか
友達から
「あんたいじっぱりだから……」
って言われてるから。
第113話
《保育所 初のクリスマス自主イベント》
12月21日
私は幼稚園と保育所の違いが
よくわからなかったのだけど
幼稚園は文部科学省の所管で
3歳以上からの幼児教育が主目的。
そして保育所は厚生労働省の所管で福祉目的。
だから保護者の代わりとして、乳児からも
無事健康に預かることが一番なんだそうです。
来年から二つを合わせた“子ども園”も
始まるらしいのですが、
病院の院内保育所はそれらを先取りして
漢字、算数などの勉学や踊り歌ほか
演劇手法を取り入れた表現メソッドまで
色々なことがらに果敢に挑戦をしています。
春から秋には花の手入れ
そして駅で旅の人たちのお見送りまで。
患者さんとのリハビリ踊りでは
元気な歌声とその笑顔が
みんなの新たなエネルギーに。
右の写真はクリスマスの自主イベントとして
昨日今日と歌や踊りを披露した時のものです。
写真を観ていただくと
これがどれほど盛り上がったか
それ以上の説明が必要ないのでは。
そして更に23日には他の福祉施設も訪問し
そこでも日頃の成果を
発表することになっていますが
もう何日も前から
「まだかまだかとみんな楽しみに」
と連絡をいただいているそうです。
ガンバレ!!
第112話
《アイスバーンに ご注意》
12月19日
ここ新十津川町は北陸地方ほどの
豪雪地帯ではないものの
北海道では雪の多い地域です。
それに厳冬期の寒さも半端ではなく、
マイナス15度にもなります。
祖父の話だと、昔はマイナス20度だって。
そこで困るのはやっぱりアイスバーン
人の転倒やら車のスリップ事故です。
ただ、これら事故の多いのはその厳冬期より
冬の始まりや終わりの時期。
マイナス10度を越すような厳冬期は
ふった雪もすぐ凍ってしまうバリバリ状態。
だから案外すべりません。
しかし12月の雪は水分も多く
日中一部が解けてしまうし
それが朝にはツルッツルの氷になっていて
その上に新雪がふったりするから最高に危険。
油断もあるだろうし
まだ雪に慣れてない事もあるし。
病院スタッフも雪ふり1週間で4人が転倒
うち1人が手首を骨折
2人が車のスリップ事故にあってしまいました。
そうだ、厳冬期でも
坂のある交差点だけは危険だからね。
信号待ちしている時
車の排気で雪が解けてまた凍り
アイスバーン状態になっているから
急ブレーキなんか踏むと
そのまますべって行ってしまって……
私もそうだけど、車の運転の人
気をつけてくださ~い。
第111話
《書く内容より、文体が難しいんだからね》
12月16日
100話超えなんて想像もしてなかったのに
今日はもう1のトリプル並び。
これ、書いているうちに何となく
次の話題が浮かんできたからなんだけど
「よくそんなに書けるわね」
って友達が。
少しほめてくれてるのかと思ったら
「あまり深く考えない性格だからよ」
うーん、勿論それには反論したかったけど
性格だけは図星だから何とも言えなくて。
でも私なりに悩みはあるんだから。
それは文章の文体。
「自分に合った使いやすい言葉で」
とは思うのだけど
「内容によっては物静かな感じで書かないと」
「ここは歴史の説明だから……」
なんてね。でも
そんな文体にも少し慣れてきたせいなのか
「最近ちょっと落ち着いて見える」
って母には言われるの。
だけど友達は
「それ、ふけて見えるってことだよ」
なんてここでも余計なことを。
また先輩にしかられるかもしれないけど
やっぱり私は私なりに
それなりにそれなりに……かな??
第110話
《おまわりさん ごめんなさい》
12月14日
そうです、イチ、イチ、ゼロ
110話はやっぱりおまわりさんの事です。
この時期、帰りの時間はもう真っ暗。
先日、車で大通りを左折したらそこにパトカーの
あの赤い警報燈が点滅してるんだもの。
ドキッー!!
そして次に頭に浮かんだのは
「いやなものに会っちゃった」
です。この感覚、何だろうね。
みなさんはこんな時どう感じますか?
ほとんどの人は私と同じじゃないかって。
だって
「パトカーに出会って良かった」
「警察官の制服をみてラッキー」
なんて思うのは、よっぽど警察マニアの人だよ。
でも、よく考えたら失礼だよね。
困った時や、何か怖いめにあってる時なんかに
おまわりさんに出会うと、すごくうれしくて頼もしくて
「助けて!」
なんて飛びこんで行くのにね。
普段はいやがられてて、困った時だけ頼られて。
病院でこの話をしてたら
「病院だって同じだよ」
って言われました。
普段は近寄りたくもないのに
「助けて下さい」
って、病気になった時だけかけこんできて。
う~ん、確かにそうだよね。
そう思って自分に置きかえてみると
おまわりさんに同情します。
ごめんなさい。これからはもう
「いやなものに会った」
なんて思いません。
第109話
《忠臣蔵は堀部安兵衛 2度の決闘!》
12月12日
この時期になるとテレビも雑誌も忠臣蔵。
結末がわかっているはずなのに祖父なんか
このタイトルがついているだけでチャンネルを。
おとなり砂川市北泉岳寺になぜか赤穂浪士の
お墓があって、滝川市と交互に北海道義士際を
開催している事も前から気になっていたから
今回は忠臣蔵の話を調べてみました。
江戸期でも元禄という泰平の時代におきた
この大騒動。だいたいのストーリーはみなさん
ご存知でしょうからここでは書きませんが
私が注目したのは堀部安兵衛という人。
この人は“高田馬場の決闘”に続き
これが2度目の大事件だったからです。
旧姓は中山安兵衛。
祖父の話だと浪々の身だった酒飲みの安兵衛が
(史実ではなく映画か講談での話)
義父と慕う伊予西条藩・菅野六左衛門の
助太刀にかけつけ
1人に対し多数という卑怯な相手に
バッタバッタと16人切りをはたしたという話。
これをみそめた播州赤穂藩の堀部金丸が
「ぜひに」
と堀部家の養子にむかえたと。
そこでその7年後におきたのが
かの有名な浅野内匠頭と吉良上野介の
江戸城“松の廊下の刃傷沙汰”。
時は元禄15年12月14日
夜半よりふり続く雪の中
大石蔵之介の打つ山鹿流の陣太鼓を先頭に
赤穂47士
「いざ討ち入り!」
こうやっていつも祖父から聞かされているから
どうも私まで講談調になってしまって。
でも風雲を呼ぶ人は
どこへ行っても大嵐になっちゃうんだね。
第108話
《“そらち”の演劇まつりだよ~》
12月9日
そらち演劇フェスティバル2011。
今年が第2回目。
美唄市、砂川市、滝川市、深川市から
合計4つの団体
今年はゲストで恵庭からも。
新十津川町は残念ながら
参加団体がないので協賛のみ。
去年偶然チラシを見て行ったんだけど
生音楽や地域性などそれぞれ特色があって
笑ったり、泣いてしまったり。
とても楽しい時間だったから
「来年も」
って思ってたのに
情報取りが遅れてしまって
気がついたら
「明日から」
だって言うんだもの。
もうシフトが決まっていて
こんな直前での交代は無理だって。
残念~
だから友達から後で聞きます。
10日(土)は16時~ 2演目
11日(日)は14時30分~ 3演目
たきかわ文化センター大ホール
料金は2日間の通しチケットで500円。
今からでも間に合いま~す。
第107話
《107歳だよ 100年、1世紀の歳の差なんて》
12月7日
今年の流行語に「歳の差婚」なんてあるけど
100年以上の歳の差で、いっしょに
「お遊び!」っていうのはどう?
この第107話、以前から書く内容を決めてました。
それは病院の最高齢者、107歳のTさんに
ちなんだ事を書きたいと思っていたからです。
明治37年生まれのTさん
補助車を使えば自分で歩けます。
リハビリ踊りの帰りも、スタッフが
「いっしょに行きますから」
って追いかけると
「だいじょうぶだから」
と一人で病室まで戻られました。
その歩みの早い事。
少し耳が遠いだけで言葉もしっかり。
朝は新聞を読むことから始まります。
外来患者さんもロビーでよくこの話題に。
「Tさんを考えたら自分なんてその子供の歳。
まだまだがんばるぞ」って。
当然、入院患者さんにも勇気を与えていますが
私たちにだって。
実はTさん、一度危険な状態になったのだけど
先生やスタッフたちの懸命の看病や
ご本人のがんばりもあって今は完全普通食。
「神様がまだいろっていうから」
ユーモアもたっぷりです。
でもふとふしぎな気持ちになることが。
リハビリ踊りなんかの時
1世紀以上離れた子供達と一緒に楽しんでいて
何も違和感を感じないんだから。
1歳の子供とは106歳の歳の差。
「まあ、かわいいわね。お歳は?」
なんて聞くからみんな大笑い。
同じ屋根の下に100歳、1世紀以上の
歳の差の人たちがいてみんな家族。
ギネスに挑戦!!
第106話
《強者(つわもの)(兵)どもが夢の跡(あと)》
12月5日
その昔、といっても1970年ころまで
石狩川向こう側は炭鉱の町として栄えていました。
南から夕張(ゆうばり)市、岩見沢(いわみざわ)市、三笠(みかさ)町、美唄(びばい)市、上砂川(かみすながわ)町
歌志内(うたしない)市、赤平(あかびら)市、芦別(あしべつ)市、沼田(ぬまた)町など。
人口も歌志内市なんか最盛期には46,000人いたのに
それが2010年には4390人なんだから
中島みゆきさんの歌“地上の星”ではないけど
「みんなどこへ行ってしまった?」
です。ある人が
「昔はともかく、今の北海道では小説が生まれない」
と言っていました。
「小説の多くは喜(き)怒(ど)哀(あい)楽(らく)の中の、怒と哀だから
生まれたとしても“北の国から”のような
大地の詩になってしまう」
って。つまり
北海道の今の景色から“喜”と“楽”は感じても
“怒”と“哀”を感じないのだそうです。
「これはとてもいいことなんだけど
炭鉱があった町からだけは
うすくではあるけど何かそれらを感じる」
とも。
「時とともに、怒や哀は人の心の中でも深く草に
埋もれてきてはいるものの、その残骸(ざんがい)というか
時代の名残(なごり)がまだ其処(そこ)此処(ここ)に感じられるから」
とのことでした。俳人、松尾(まつお)芭蕉(ばしょう)の句
「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡(あと)」
だと。しかしだからこそ
人間的色々な情念(じょうねん)の残像(ざんぞう)が浮(う)いて見えてきて
そこにドラマを感じるのだそうです。
これ、みなさんはどう思いますか?
私は、それならこのままドラマが出来ない方が
良いって思ったんだけど……
第105話
《十津川郷士(ごうし)と新十津川町の剣道》
12月2 日
第90話で母村の事を書いたけど
ただそうは言っても十津川村からの移住から
はや120年余り、一世紀以上を経て人は流動化し
はっきりと母村にそれを求められる人の
数は少しずつ減ってきています。
十津川郷士は木を伐採(ばっさい)したりと原生林の開拓には
手なれていたけど、田作りは上手でなかったことや
後継者が都会に出てしまったこともあるみたいです。
ではこのままいくと、十津川村を
母村と呼べなくなる時代がくるのでしょうか?
いえ、それは永遠にないと思います。
なぜなら十津川村の精神
独立独歩、実直で粘り強い十津川郷士の精神は
移住の時以来、新十津川町に住む全ての人々に
脈々(みゃくみゃく)と流れ、そして受け継(つ)がれ
それが未来へと続いているからです。
だから例えどこの出身者であろうとも
新十津川町の人となったその瞬間から
母村はみんな十津川村になるのです。
それはトヨタやホンダの創業者一族の
持ち株比率が、例えゼロになったとしても
豊田(とよた)佐(さ)吉(きち)、本田(ほんだ)宗一郎(そういちろう)の創業者(そうぎょうしゃ)精神(せいしん)は永遠(えいえん)に続き
その社員になった瞬間にそのDNAを受け継ぎ
トヨタマン、ホンダウーマンになるのと同じです。
その一つの象徴(しょうちょう)が剣道です。
新十津川町の剣道の歴史は古く、また強く
専用の剣道場「尚武館(しょうぶかん)」まであります。
新十津川町開拓記念館を見学していた旅の人が
十津川村出身者の比率が落ちていることを聞いて
落胆していたのですが、この剣道のことを知り
「そうなんだ! そこに十津川郷士の精神が
受け継がれているんだ!」
と、手を打って喜こばれたそうです。
いつの日か、母村の学校との決勝戦を夢見て
今日も子供たちは練習にはげんでいます。
来年には小学校正門前に尚武館が新築。
来たれや少年少女、はばたけ新十津川町剣士たち!!
病院内保育所の子供達にも期待してま~す。