第91話
《新十津川駅最終列車は、“夜汽車”?》
10月31日
父のCDコレクションは「日本の歌」(第52話)、
いつも口ずさんでいるし、車の中だって。
演歌だけではないけど、
私としては私のコレクションもかけて欲しいのに、
祖父はもちろん、ポップス好きの母までだから
多勢(たぜい)に無勢(ぶぜい)
いつのまにか覚えてしまった曲がいくつも。
そんな中の歌詞に
「最終列車」「夜行列車」「夜汽車」なんていう
フレーズが出てきます。
「故郷」(第46話)と同じように、
この言葉から感じるものが時代時代、
人さまざまに心深くあるようです。
新十津川19時27分発の列車は最終列車、
といっても朝から数えて3便目ですが、
その時間、日の長い季節はまだ明るく、
周りの写真なども撮っていられるのだけど、
8月も後半にはいってくると辺りははや暗く……
だから「夜汽車」と言ってもいのではと。
駅ノートには
「自分だけしかいない」
「突然時計の鳴る音が……」
なんていうのもあって、
何かさみしそうな感じですが
でも物事は考えよう、
車窓からの灯りを観ながら
「最終列車」「夜汽車」の旅情にひたり
一人都会へ、田舎へと向かうのです。
静かな夜
聞こえてくるのはただ列車の走る音だけ、
そんな時、人は何を思い
誰を想うのでしょうか?
良い旅を楽しんでください。
第90話
《新十津川町の名前ってどう思う?》
10月28日
わたしは最近までずっと
ダサイ名前って思ってました。
だってどうせ新しく名前をつけるなら
「もっとかっこう良い名前が良かったのに」
って。十津川だけでも言いにくいのに
それに“新”までついてるんだから。
だけど今は違います。
つくづく新十津川で良かったなって。
十津川村の大水害で思ったのは、
「自分達には母村があるんだ」
ということ。
子供の頃「母村」「大水害」「移住」なんて
学校で教えられても、また毎年の交流があっても、
心の奥底ではどこか古い話、
自分とは縁遠い話と感じていたのに。
アメリカやオーストラリアなどは移民国家だけど
「先祖はどこから来たのか、自分のルーツは?」
と、故郷を捜す人が多いと聞きます。
心の中にぽっかり穴が開いた気分に
なる時があるからだそうです。
北海道もそのほとんどが明治以降の開拓地で、
日本各地からの移住です。ただ
「その出身地は? 故郷は?」
というと、
個々それぞれの家に伝わっていない限りわかりません。
そんな中にあって集団移住でできた村、
そして町へと発展してきた新十津川町は
出身故郷がはっきりわかっていて、
“壬申(じんしん)の乱(らん)”(672年)の記録にもある
その1300年以上の古い歴史を
母村と共有しているのです。
わたしはそんな新十津川町を
自慢にというか誇りに思うようになりました。
第89話
《新たな花飾り チューリップ13,000球》
10月26日
昨年の花植えが6月初旬(第25話)、
コスモスの種まきが7月初旬、
このあたりの雪解け(第9話)が4月中旬だから、
その間を何かで飾れないかとチューリップを
植えることに。
その数、約13,000の球根。
これまで裏庭に植えていた約400球に
プラス12,600球を発注したものです。
ただこれだけの数になると
やっぱり植えるのは大変。
看護部は1ケ月前に勤務シフトを
決めなくてはいけないからだけど、
といっても当日の天気なんて予想もできないし
雨がふったら翌日に順延するしかなく
その場合は次のシフトの人たちが引継ぐことに。
で、天気占いの結果「この日が晴れそう」
とまず10月25日を予定日として設定。
しかししかし、直前の天気予報は雨、
さらにまた翌日も雨みたいだし
「これ一体だれの番になるんだろう?」
「天気占いどうしちゃったの?」
なんて空を見上げながらみんなやきもき。
その時、
「雨がふっても手際よくできればいいじゃない?」
と、新たな提案が。
「なるほどなるほど」
そこで球根を花の色ごとに箱わけし、
植える場所の準備は前日に、
球根を決まった配列に並べていく人、
土をかぶせる人など担当もわりふって、
小雨の中を強行!!
予定時間を半分以上も余して無事終わりました。
しかしまだ残り6000球、
他にユリの球根や種まきもあるし、
駅周りだってこれから。
雪がふりだす11月中頃までには終わらせないと
また寒くて大変です。
でもね、患者さんや町の人たち
そして旅の人たちの笑顔を思いおこせば
「それほどのことでも」とみんな。
第88話
《里見峠の会》
10月24日
新十津川町をこよなく愛する人たちの会
“里見(さとみ)峠(とうげ)の会”をご紹介します。
里見峠は大和地区にある
新十津川神社(第14・85話)前の道を
学園地区(第23話)へ抜けていく途中の
少し小高い峠。
その先が吉野地区、更に山々を越えると
日本海側の浜益(第56・76話)です。
この峠は開拓当時、地域間をつなぐ重要な拠点、
物資を運ぶ時ちょっと一休みに良い場所でした。
“里見”という名前はその字の通り、
新十津川の里を見渡せ
町民にとってはとても感慨深い峠
心地良い風が“とっぷ川”から吹き上げてきます。
その名前を冠した“里見峠の会”
多種多彩なメンバーがいますが、
その一人、澤田(さわだ)真(ま)希(き)さん。
世界一小さなジャズシンガーとして知られ
自らギターで弾き語りもされるエンタテナーです。
ただ出身は札幌市で米国修業。だから
新十津川町に特に縁があるわけでもないのですが
友人に紹介されたこの町がそして自然が大好きになり
「ぜひに」
とメンバーになられたと聞きました。
その澤田さん、
10月29日には弾き語りコンサート
11月20日には定山渓ホテルでディナーショー
詳しくは澤田さんのホームページでね。
CD聴いたけど、とても魅惑的なハスキーボイス。
父はジャズとは縁がなかったはずなのに、
朝からずっと聴いてたもの。
第87話
《まさにこれ秘境(ひきょう)駅!?》
10月21日
私たちの“駅花飾り”が始まる以前、
駅ノートに「まさに秘境駅」
といったような内容がありました。
「豊ヶ岡駅」(第6話)の事ではなく
新十津川駅の話です。
人の記憶ってけっこういいかげんみたいで
「去年までの駅、どんなかったっけ?」
なんてはっきりしません。
色々写真を調べたりみんなに聞いて
「ああ、なるほど」
って初めてなっとく。
昨年までは列車で駅に近づくと、
車窓の左は防雪用の林がうっそうと。
本当は林の向こう側には家が立ち並んでいる
んだけど(学園町・第23話)、
暗くなると光が少しもれこぼれてくるだけ。
「じゃあ右側車窓は?」というと、
枯れ枝もそのまま雑然とした木立が並び、
大人の背丈もある雑草が一面。
ホームにおりても駅舎(えきしゃ)の周りは雑草で覆(おお)われ、
駅前に立っても雑草の向こうに
病院の建物が見えるだけ。
一応、新十津川町の中心に近い場所だから
“町の中の秘境駅!!”
なんてキャッチフレーズにすると、
秘境駅ランキングで小幌駅や小和田駅を押さえて
堂々1位だっかも??……なんて考えても
とても無理だし、それより駅がかわいそうでしょ。
古くて、行き止まりで、それで雑草にまで
覆われていたら皆から見放されたみたいで。
だから花いっぱいに艶(つや)やかにお化粧(けしょう)をして、
「まだまだ現役で社会に役立つ」って事を
全国に強くアピールしてあげないとね。
第86話
《母村の危機は去ったの?》
10月19日
母村・奈良県吉野郡十津川村の水被害
は収まったかにみえるのですが、
まだまだ注意が必要なのだそうです。
それは山崩(やまくず)れでできた“土砂(どしゃ)ダム”のためで、
122年前の大水害もその最大の被害は、
安心した頃に発生した
土砂ダム決壊(けっかい)が原因だから。
その山のような土砂交じりの泥水で、
下流域の家々が
全部押し流されてしまったのです。
災害発生以来、新十津川役場からは
応援の人たちが行っていて、
先日は町長さんも義捐金を届けに行った記事が
新聞に掲載されていました。
それは町民一人一人の気持ちを込めてのものですが、
加えて町民以外も多い病院スタッフたち、
そして患者さんと募った、また病院からもとの
1,116,660円が含まれています。
これが母村元気回復の少しでもお役にたてたら
とみんな願っています。
第85話
《里にもはや紅葉が》
10月17日
気が付いたら周りの景色は色づいて
もう紅葉の季節。
昨年は害虫に痛めつけられた
病院のナナカマドも今年は実のりが多く、
ひときは赤が鮮やかです。
ひとっとびに冬になってしまうと云う
北海道の秋、
この休日、母と車で町や周辺を散策してみました。
その結果が右の写真。
観て、このカラフルで色鮮やかさ。
小川を少し山間(やまあい)に入っただけの田園地帯、
そしてちょっとした丘を越える道が
全てこんな景色なんだから。
春とはまた違った素晴らしさがあるでしょ?
少し天候が良くなかったけど、
雨上がりの晴れ間に輝く紅葉は
宝石箱以上の感動だよ。
後から父や祖父も合流し、
このステキな空間の中で、
お弁当を広げました。
それも色とりどり、
それには父や祖父も大感激。
最後はやっぱり酒盛りになったけどね。
えっ? 私は入ってないわよ。
母と運転手。
言っておくけど、
料理、私も手伝ったんだから。
第84話
《砂川市 マイ スイートロード》
10月15日
母が持っているCDにMy sweet roadと
いう曲があったけど、
私のそれは砂川スイートロード。
石狩川の向う岸、滝川市の札幌寄りが砂川市。
この町の特徴は、お菓子・ケーキ類の店が多い事。
病院スタッフにもここからの人がけっこういるから、
色々最新人気情報を仕入れてあれこれと。
夜勤で疲れた時にはやっぱりコレ!
疲労回復には甘いものが良いって云うでしょ?
これまちがってないよね?……
だめ? 食べてすぐ寝るのは
ウエストに脂肪が付くから良くないって?
それくらいは私だって研究してます。
だからちょっとは寝るのがまんするんだから。
だけどその間にいつも
「もう一個」
なんてなるから……結局もっと悪い結果に
だって、目の前にあるのに無理だもの……
だから
「最初からそんなにたくさん買わなければ良いのに」
って母にも言われるんだけど、見るとつい
「000も。うーん、00000も。
そうだ、お父さんだって今回は食べるかも」
なんて、勝手に意味をつけて過剰になってしまうの。
これ、みなさんだって同じでしょ?
でも一応は起きたら柔軟体操をすることに。
これは努力賞ものよ。
第83話
《熊(クマ)にご注意!!》
10月13日
ここのところクマの出没情報が
テレビニュースで頻繁(ひんぱん)に。
170万人都市の街中にまで現れたわけだから、
もうどこだってありえそうに思ってしまいます。
実際、車で走っていると
「クマ注意!」
の看板が目に付き
「えっ、こんな所に?」
と思うこともしばしばです。
北海道のクマは本州のツキノワグマより
一回り大きいヒグマ。立つと二メートルは
あるので、とても人の力でどうこうできる
レベルの話しではありません。
だからこの季節、
山に入る時は注意して!
ただ幸いに、新十津川町ではクマ出没の話は
最近ちょっとわたしの記憶には。
おそらく生息域が広いからだと。
石狩側西岸に位置する新十津川町の山岳地帯は
日本海との間、そこはピンネシリ山など、
まだ原生林に近い山々で、その幅も広い所です。
それに対しクマ情報の多い石狩川東岸、
そこはその内陸部にも町があり、
クマの生息域が細く狭くなっている所。
今年はドングリも少ない事から、
クマも受難の年なんだろうと。
そのまま山に戻ってくれればいいんだけど、
このままだとお互いが不幸に。
何かクマと人とが共生できる方法があればね。
これって無理なのかなあ……
第82話
《ちょっと初雪! 花は? 駅は?》
10月11日
今月初め、もう初雪が。
ボタン雪だからすぐ解けてしまったけど、
ピンネシリ山には2、3日残ってました。
その数日前までは日中汗ばみ、
患者さんの中には窓を開けて
涼んでいた人もいただけに驚き!
寒暖の激しいこの季節、
カゼをひかないよう注意です。皆さんもね。
で、「花はだいじょうぶ?」
と調べてみると
コスモス、やっぱり元気がありません。
風や長雨で多くが倒れてしまって、
やっぱりスマートすぎたみたい……
旅の人達がっかり、ごめんなさい。
ただ代わりにキバナコスモスが
今も満開にがんばってくれています。
それにマリーゴールドも健在。
来年の事を言うと鬼が笑うと云うけど、
今年を教訓に、
「もっともっと楽しめる駅に」
とみんなで相談準備しているところです。
「春はチューリップが良い」
って13000個の球根を、
「香りの良い花は?」
って山ユリなんかも追加。だけど
私たちにとっては経験のない大がかりな計画
「もっと深く土を入れないと」
「球根はいつ植えたらいいの?」
「じゃあ今まだ咲いている花は?」
「コスモスの種どうするの?」
なんて、戸惑うことしばしば。
でもこれで駅も旅の人たちも、
そして町の人たちも患者さんたちも
そして子供たちや私たちも楽しくなるんだから
みんなガンバルぞ!!
第81話
《もうお祭りだ~“ホロカの家”②》
10月7日
“ホロカの家”(第67話)では
もう“お祭り”と呼びたくなるほどに
にぎやかな稲刈りイベントです。
今年で11回目を迎えました。
幌(ほろ)加(か)は日本海側の浜益(はまます)町(第56話、76話)
への途中、吉野よりもっと山間に入った所です。
みんなで植えた早苗が今や黄金色に輝き
重そうに穂(ほ)を垂(た)れて待っていました。
札幌からの主催者(NPO 北海道田園生態系保全機構) や新十津川町長さんのあいさつの後、
“田んぼ博士(農家のご長老)”の指導のもとに
さあ、子供達が稲の刈り取りです。
ただ最初は慣れない手つきで危なっかしそう。
だけどすぐこつを覚えてザク、ザク、ザク。
そしてそれを束(たば)ねて干(ほ)すところまで一気に。
ムムムッ、私より上手かも……
天気予報は前日から3日連続の雨マーク、
それも気圧配置は西高東低の超(ちょう)冬型、
雨だし寒そうだし、
「大丈夫かな、どうなるんだろう?」
って心配してたけど、
ちょっと降っただけでその後は晴れ間まで。
みなさんの日ごろの行い「Good!」でした。
今年は水辺遊びが出来なかったけど、
代わりにサクラの植樹を。
それがエコというか、ユニークというか、
ダンボール紙を組み立て、
土と苗木を入れると後は地面に置くだけ。
「カミネッコン」と云うらいんだけど、
土を掘らなくても根付くんだそうです。
みんなが大人になった頃には
素晴らしいお花見ができそうだね。
それにしても自信に満ちた良い顔!!
第80話
《垣根(かきね)がない学校って変?》
10月5日
夏休み東京から遊びに来た
高校生のいとことその友達、彼女たちが
私にこんなことを聞いてきました。
「どの家も何でお隣との境界に垣根がないの?」
って。
「何で?」っても、
そんなの考えたこともないし、
垣根のある家の方がこの辺りでは珍しいし、
もし理由があるとすれば
「除雪にじゃまかも」
と思うくらい。
彼女たち、新十津川農業高校の前でも、
「うそ! 門柱が建ってるだけ!」
確かに高校の周りに垣根はありません。
中学校や小学校だって。
運動場脇にはそれらしき網なんかが
一部あるんだけど、それ、
「ボールが遠く飛びださないように」
って。それに隣家のガラスでも
割ってはいけないからです。
もうそれ以上は答えようがなかったから、
「お金もかかるのに、
どうしてわざわざ垣根がいるの?」
って私の方が逆に質問したんだけど
他の地方はどうなんだろう?
第79話
《浦臼(うらうす)町のぶどう園と北海道ワイン》
10月3日
これヨーロッパの景色みたいでしょう。
フランスやスイス、オーストリアなどのアルプス
そして東欧なんかを連想しません?
ここ浦臼町は新十津川町より一つ札幌寄り、
札沼線では鶴沼、浦臼駅などです。
自慢はワイン用ブドウ作付面積
そして生産量も全国で第1位の町ってこと。
東洋一と云われる鶴沼ワイナリーもあります。
かおり高い高級ブドウ酒の主産地、
ヨーロッパと景色がにているのは
「気候も同じだから」
って、その道の通(つう)の人が。
そうか、だからおいしいブドウが
採れることと関係あるのかもね。
そうそう、それと坂本龍馬の家族が
移住してきたところとしても注目されたの。
龍馬は自から北海道へ行きたいと熱望し、
勤皇(きんのう)志士(しし)の仲間にも、
「北海道はいいぜよ」
と勧(すす)めてたくらいだから。
広い太平洋の荒波を見ながら育った龍馬は
幕末の嵐の中で、
天下国家、日本をどうするかばかり考え、
せせこましい場所や人間関係が嫌いだったのかも。
「やっぱり龍馬は雄大な北海道がよくにあう。
健さんも同じだなあ」
って。これ父のひとり言。
健さん? それはほら決まってるでしょう、
高倉健さんよ。(第52話)