第143話
《今日は“うるう年”の2月29日》
2月29日
オリンピックと“うるう年”は4年に一回
この日に生まれた人の
「お誕生日も4年に1回?」
とはならないんだろうけど
誕生日会はいつやればいいんだろうね。
2月28日、それとも3月1日……??
この“うるう年”を採用したのは
ローマ時代からだと。
その元となったエジプト文明より更に昔
世界三大文明発祥の一つといわれる
メソポタミアでは太陰暦が。
ご存知のようにこれは
月の満ち欠けを1ケ月としたのだけど
古代の人たちだけでなく現代の私たちだって
ビジュアル的にはこの方がわかりやすいよね。
でもこれだとカレンダー上では同じ日でも
季節が毎年大きくずれてしまうから
太陰暦を用いてた江戸時代までは
“うるう月‘まであったんだそうです。
例えば12月が2回あるとか。
これも何かややこしそう。
だけど、最初こんな事を考えついた人って
ホントすごいよね。
正確で根気良い記録と
それらを総合して推測する
右脳左脳の両方の
図抜けた能力が必要なんだから。
最後に
それら能力にはちょっと
……いえ、なりかも……
??疑問があるものの
バイリンガルを自称する友達が一言。
「アメリカの大統領選挙も
“うるう年”に合わせてるんだから」
って。
第142話
《艶やかに ひな祭りだよ!》
2月27日
3月3日はひな祭り
空知中央病院の院内は
どのフロアも競い合うように
艶やかな飾りつけが。
外来患者さんも入院患者さんも
みんな自然と顔がほころび
リハビリ運動中も会話が弾んできます。
夕暮れ時が遅くなり
外の日差しも明るくなってきたこの頃
私もひな飾りを観てると
「春が近づいているんだな」
って気に……
この“ひな祭り”
起源はというと平安時代まで
さかのぼるんだってね。
女性は“十二ひとえ”も鮮やかなその衣装
和歌の文化に
紫式部や清少納言
ひな人形も本当おにあいです。
私にとっての“ひな祭り”は
祖母の思い出です。
私が中学生になるころまでは
祖母が買ってくれたひな人形が
毎年飾られていました。
その前で祖父母、両親、そして私と弟
みんなでお祝いしたのを覚えています。
今年、久しぶりに母といっしょに
ひな人形を飾りました。
祖父がとても喜んでくれ
飾りの前に座り
いつまでもじっと見上げていました。
だからまたみんなで酒盛りに。
第141話
《母村 十津川村に旅行すれば3万円!!》
2月24日
おもしろいというか
すごい事を新十津川町は考えました。
町民が十津川村に宿泊すれば
3万円の商品券を出すというのです。
病院内や友達とも話題になったけど
うちの家族でも。
祖父が以前から、まだ元気なうちに
一度行ってみたいと言っていたからです。
私も関西は一度だけ
京都や奈良の観光地を巡っただけです。
この日記を担当することになって知ったのだけど
奈良県には私と同じ名前の明日香村があり
飛鳥駅もあって
やはりコスモスやヒマワリなどの花が
あちこちに咲いていて
また古代からの遺跡がそこここにあって
写真で観るだけでも
神秘というかふしぎな空間を感じます。
だから明日香村にも立ち寄ってみたいって。
ただ農繁期になると祖父や両親は無理だし
私の勤務日程も調整しなくてはいけないし
行きたい時期と行ける時期の調整が
なかなか大変そうなんだけど
やっぱり一度は行ってみないとね。
新十津川町の人はもちろん
商品券は出ないけど全国のみなさん
ぜひ十津川村を訪ねてください。
そこも日本の古代から続く熊野古道奥の院
その深い山々の霊気に浸ると
日本中の人が自分のルーツを感じるのではと。
第140話
《は~るよこい もうすぐ春かな?》
2月22日
なんて言っても
いくら何でも早すぎって言われるよね。
でもこのところちょっと気温がゆるんだから
ふと願望が頭に。
でも急に吹雪いたりするからな……
以前にも書いたけど(第112話)
こんな暖かさの後が一番危険。
2、3日前には雪が解けだし
道路は久しぶりにアスファルトが顔をだして
車にはね上げられた泥が
周囲の雪山にも飛び散り
一面の白の世界から余りきれいとは言えない
黒のまだら模様になったんだけど
突然の強風と雪で再び真っ白。
ただその眩しいばかりの新雪の下に危険が。
一度解けた雪がまた凍り
アイスバーン状態になってるんだからね。
これが零下10度のカチカチ状態の時はいいのだけど
中途半端な寒さだと油断大敵
急ぎ足なんかすると
スッテンコロリンです。
これ、車も同じ。
道路は雪で狭くなってるし
幹線道路でない限り歩道は雪山とうせんぼ
人も車道を歩くしかなく
旅の人たち
本当に気をつけてね。
第139話
《新十津川駅前に大カジノ出現!!》
2月20日
久しぶりに良いタイトルが。
でもいつも後でしかられるんだけどネ。
じゃあウソかって?
いえ本当なんだから
今年から本格的に開設されるって……
場所は空知カジノホテル
ちがった空知中央病院集会場
そう、138話で書いたイベントホールです。
そこではまずルーレットでしょ
カードゲームならブラックジャックにポーカー
それに“チンチロリン”なんてのも。
これ意味わかります?
最初聞いたときは
「なにそれ?」
ってみんな??
器の中でサイコロを3つ転がし
その数字によって勝ち負けが決まる
簡単なゲーム。
「チンチロリン」
ってサイコロが器の中で弾けるから
この名前がついたらしくて
日本では古くから行われてたらしいの。
ただこのゲーム何人でも参加できるし
体の不自由な患者さんも簡単だし
それなりに頭を使い
熱も入りスタッフの方まで加熱!!
主催は“明日も楽しみに委員会”
患者さんが一人家族と離れた哀しみや
病気の苦しみを少しでも和らげられるよう
明日を楽しみに眠りにつけるような
そんな環境を作るべく
各セクションがどんな些細なことからでも
何かないかと考えていくのがこの委員会です。
みなさん、このブログも注目しててネ。
第138話
《雪だるま祭りの投票結果はって?》
2月17日
「空知中央病院の雪まつり
投票結果はどうなったの?」(第127、129話)
なんて友達から聞かれたから
「“花飾り委員会”のブログに出てるから」
って答えたものの
その時の開票状況を聞くとおかしくて
ここでちょっと詳細を。
開票会場は2階集会場
大きなイベントはいつもここで開かれるんだけど
重々しく選挙管理委員会、そして各科代表が
……本格的な選挙会場の設営に
私語をする雰囲気でもなく……
おごそかに見守る中
……ほんとうにみんな神妙な顔つきだったって……
一枚一枚投票用紙を読み上げ
それを選挙管理委員会が再度チェックして集計係に。
各科代表はライバルとおぼしき科の票読みと
自分たちのものを左右手で指折りながら
周りにさとられないように
静かに静かにカウントしてたんだって。
だけど色々票が割れたものだから
途中から頭の中が混乱
「ちょっとあんたの指も貸して!」
って計算もぐちゃぐちゃ。
結局、発表を待つしかなくなったみたい。
やがて華やかなファンファーレの中
いよいよ発表が。
結果は1位、2位ともリハビリ科でした!!
こんな雰囲気だったから受賞科代表も感無料。
だけど受賞作の二人
あれプロレスの北斗さんご夫婦じゃなかったんだ……
本当なら3位までの表彰だったんだけど
後ろも僅差だったことから
スタッフ投票での1位だった作品など
2作品に花飾り委員会の方から急きょ特別賞を。
各セクションその受賞に
スタッフだけでなく
患者さんも大喜びしてくれたそうです。
みなさん、花飾り委員会のブログも見てね!!
第137話
《うさぎ追いし かの山……!?》
2月15日
これ“ふるさと”という歌の一節だけど
「うさぎを追って遊んだんだろうか?」
なんて思ってたら
「捕って食べる」
っていう意味が込められてるんだって。
「それ、現実離れしすぎた歌詞じゃ?」
「そんなの明治か大昔のことでしょうに」
と思ってたら
「いやあ、自分も子供の頃に経験が」
っていう人が多くてびっくり。
これ新十津川町の人だけじゃなくて
周辺市町村の人たちほとんど。
だいたいが50代後半以上の人たちだけど
「近くの山で普通に捕ってた」
っていうんだものね。
父や祖父に聞いたら
「明日香も子供の頃食べただろうに」
だって。
「エエ~ッツ!!」
もう声が出なくなっちゃった。
明治開拓当時の伝わる話として
そこらじゅう
雪の上にうさぎの足跡があったって。
でも考えてみればそうだよね。
新十津川町に限らず
北海道開拓当時なんて食料がないんだから
川魚とともに
貴重な蛋白源だったんだろうから。
もう今は捕獲する人はいないみたいだけど
その仕掛けというか方法を聞くと合理的で
またゲームみたいで
今の男の子達にも結構うけちゃうかもよ。
第136話
《雪のふる夜 新十津川駅雪まつり》
2月13日
“札幌雪まつり”の後にこのタイトルは
ちょっと気が引けるのだけど
やっぱり新十津川駅も飾ってあげないとね。
と言うことで11日の夜
キャンドルライトアップ!!
主催は駅前コンサートを開催した
“みんなの家”(第66話)
病院も「かまくら掘り」のお手伝いをしました。
本当に雪のふる夜
ちょっとふり過ぎかなと思うくらい
だけど駅もうれしそうでした。
わたしは病棟から観てたから
手前側のキャンドルが
雪に隠れてしまってたけど
薄白い雪の中に灯が浮かび上がって
それは神秘的でした。
そのうち最終列車も到着
おりてきた乗客の人も感激!!
駅ノートを読むと
この凍りつく雪空の下
遠くから来てくれてるんですね。
これにも大感激です。
新十津川駅に代わって私たちが一言
ありがとうございます!!
雪の札沼線(学園都市線)
本当にステキでしょ。
第135話
《札幌雪まつりは 夜が最高!》
2月10日
公休を利用して母と札幌雪まつり
会場の大通公園は
人出もだけどやっぱりすごかった。
ただ予想外のトラブルに。
というのは、雪まつりを観た後
買い物をしてランチをして
そして帰ろうと思ったら友達3人と遭遇。
彼女たち昨夜から泊まっていたらしく
ライトアップされた雪まつりの自慢話。
だから
「わたしも観たい」
ってことになって
私だけ彼女たちと夜まで残って
列車で帰ることに。
だけどそれがいけなくて
大雪で旭川方面は列車が運休!!
はじめは
「夕方5時には復旧」
とアナウンスされていたのに
その5時になると今度は7時
そして次は9時と
「本当に動くの?」
ってだんだんみんな不安に。
だから結局父に迎えのSOS。
母も帰りが大変だったのに
また私のために雪降る中を悪戦苦闘……
普通列車が何とか札幌から岩見沢駅まで
動くことになったからまだ良かったけど
「久しぶりだからみんなで豪華にディナー!」
なんてはしゃいでる場合じゃなくなっちゃった。
やっぱり途中の計画変更なんて
あまり良くないのかも。
でも、夜の雪まつり
それは本当に最高だよ!!
第134話
《札沼線・廃線の駅跡をさがそう》
2月8日
新十津川駅から沼田駅までの廃線跡を
順に追ってみようと思ったのだけど
それらしき跡がなかなか見つかりません。
理由は田んぼの区画整理。
ほんの一部だけ残っている線路跡は
名残を見せるそれなりの道路幅で
またゆるやかなカーブだったり
「なるほど、ここが」
とわかるのだけど
区画整理後は全て真っ直ぐの長方形区画。
だからその痕跡がみつけにくくて……
だけど駅舎跡を捜すのならそのコツが。
駅の多くには倉庫があったからです。
新十津川駅だって今は農協の倉庫に。
で、すぐに見つかったのは新十津川神社前の
“いしかりはしもと駅”。
そこへ至る道も曲線具合から明らかに線路跡。
新十津川方向を見るとトップ川鉄橋跡の先に
空知中央病院の建物も見えます。
やっぱり間違いないようです。
祖父の話だと札沼線はこのはしもと駅から
新十津川神社の左横
現在パン屋さんのある右わきを抜けて
上とっぷ駅、沼田駅方面に延びていました。
今は雪原で全て真っ白の世界だけど
春になるとよくわかります。
ぜひ訪ねてみてくださいね。
第133話
《受験生のひとたち がんばって!》
2月6日
節分は過ぎたけどまだまだ凍りつく朝
外に出ると頭がしめつけられる感じです。
ただ道路を渡る時以外、歩くのは楽。
なぜかというと硬過ぎて滑らないから。
道路はタイヤの摩擦で一度とけて
それが透明の氷になってるから要注意です。
そういえば受験シーズンまっただ中
“すべる”なんて禁句。
でもわたし的にはケガさえなければ
OKじゃないかって。だって
「すべりこみセーフ!」
って言うでしょ。
何でも考え方一つだよ。
てなこと言ってたら
「あんた、のんきだからそんな言えるのよ」
って友達から。
う~ん、そうかもね。
うちの家族はみんな楽天家だけど
それでも弟の受験の時は
ちょっとピリピリしてたものな。
神社のお守りだって3個
「それって、後は神のみぞ知るって事だよね」
って言ったら
みんな大笑いになったけど。
第132話
《何かグルメな食べ物をって……》
2月3日
「新十津川町グルメ通りは?」
と言われてもちょっと。
いえ、おとなりの滝川市だって砂川市だって
“通り”となると近隣では聞きません。
「じゃあ新十津川町の旧来からの名物?」
う~ん、何だろう……
そもそも奈良県十津川村からの移住。
そこは古くは皇族や平家の落ちうど
そして幕末には勤皇志士も隠れたという(第100話)
険しい山岳地帯をぬっている深い谷。
川や山の幸があっただろうけど
新十津川町は母村とは植生も違う北海道。
まして食うや食わずの開拓当時なんて
おいしい食べ物を創造する余裕なんか
とてもじゃないけどなかったでしょうに。
だから本当に実用的な食として
「めはり寿司」「笹ずし」があるくらいです。
「めはり寿司」はおにぎりを高菜で包んだもの。
笹寿司の場合は、陶芸まつりでも書いたように
陶器なんてとても貴重品だったから
農作業の昼食弁当として
お寿司を笹で包んだものなのでしょう。
もしかして当時は梅干すらなかったかも。
だってここ空知地方で、
“梅の花”なんてなかなか見かけないもの。
たぶん、寒くて育ちにくいのだと。
この「めはり寿司(くじら館にあります)」
「美味しいの?」って聞かれれば
飽食の今の時代では
「好きずき」としか言えないし
見栄えの点でも今風ではないんだけど、
開拓当時を思い浮かべて食べていただければ、
また違った味わいも。
祖母も農作業の昼食用によく作っていました。
第131話
《節分って何で鬼が?》
2月1日
2月3日は節分
空知中央病院でも各病棟が
趣向を凝らしたイベントを企画
だんだん周りが騒がしくなってきています。
節分は冬と春の季節の変わり目の意味
だけどそこになぜ鬼が登場するんだろう?
「鬼は外、福は内!」
私もいつもこう言って豆をまいてるけど
その深い意味までは知りません。
だから今度も調べてみたんだけど
色々な説があってこれといって断定までは。
それにしても鬼って何を意味するんだろう
何で嫌われるんだろう?
「鬼みたいな人だ!」
「鬼嫁!」
なんて使われると悪口だよね。だけど
「仕事の鬼」
って言われるとこれはほめ言葉。
わたし?
そう言われても余りうれしくはネ……
日本各地に鬼伝説が残ってるけど
地図を見ていて思ったのは
裏日本、日本海側に多いっていうこと。
これ、「もしかして日本海を漂流してきた
外国人のことかも」
なんて思ったりしたんだけど。
体が大きく、髪の毛も赤っぽく
寒さで肌が赤くなるから赤鬼。
目の色が青だから青鬼。
鼻が高くて角みたいにとんがってるし
当然言葉なんて通じ合わなかっただろうし
食糧だってなかっただろうし……
う~ん、ちょっとしんみりした話になってきたから
今日はここでおしまい。