第156話
《しょっぱい河……??》
2012年3月30日
祖父など年配者の人が、時々
「しょっぱい河」という時があります。
津軽海峡のことです。
民謡・盆踊りの定番「北海盆唄」の中にも
「波の花散る 津軽の海をよ
越えてな 超えて……」
という歌詞があるくらい
北海道の人たちはこの名前に
色々な意味で万感の想いがあるようです。
今では列車用トンネルがあるし
東京からも直通
空を飛んだらせいぜい1時間半ほどですが
飛行機がなかった時代
またそれがぜいたくだった時代
みんな青函連絡船に乗って
波の津軽海峡を北海道に渡ってきました。
出稼ぎに行く時だって帰ってくる時だって
この3時間50分の海峡の旅は必須でした。
「しょっぱい河」
行く人も来る人も人それぞれに
色々な覚悟を背負った旅だったのでしょう。
私の父も祖父も石川さゆりさんの名曲
「津軽海峡冬景色」
(作詞・阿久悠…154話のピンクレディーの人!?
作曲・三木たかし)
の歌が好きです。
酔っ払うとよくこの歌になります。ただ
自らの青森駅での景色が思い出されるのか
歌い終わるとなぜだか
母までしんみり無口になってしまいます。
そんな時、いつも私が祖父の大好きな
「北国の春」を歌い始めるのですが
すると急にみんなにこやかな顔になって
全員手拍子での大合唱になります。
また春が廻ってくるんですね。
第155話
《「歌」って過去の自分に……》
2012年3月28日
歌ってふしぎだよね。
電気を消して一人部屋で聴いていると
その歌を歌っていた当時の自分に
自然と引き戻されてしまうから。
楽しいこと、悲しいこと
気持ちまでそのままに……
だから友達なんかと
「カラオケ!」
なんかになった時はいつも10代
青春まっただ中です。
そこで良く聞かれるのは
「病院では?」
と。だけどこれがなかなか。
みんなそれぞれシフトが違うから
「大勢が同じ日の同じ時間に集まる」
というのは大変なんです。
だから集まっても少人数。
でもノリだけは大人数なみ。
年齢は関係ありません。
こんな話が。
主任世代の先輩たちが集まると
最後はピンクレディーメドレーだって。
「じゃあ彼女たちと同世代?」
かというとそうではなく
みんなが小学校時代
10歳前後の時に歌って踊ってたから。
つまり、小学生の時の気持ちに戻って
歌い踊ってるって事。
「具体的に?」
う~ん、それは
後で叱られるからな……
だから、はいここまで。
《やっと白鳥が……》
3月26日
待ちに待った白鳥の知らせが。
私はまだ見てないんだけど
袋地沼にかなり集まってるって。
それを聞いたうちの先生なんか
「よし!」
なんて喜んでいたけど
周りのみんなも自然と顔がほころんでいました。
今年は雪が深く
田んぼもまだ厚く覆われ
本当なら雪解けを早くするための
灰などを撒くのだけど
(太陽の熱を吸収させるため)
新雪が降ってはまたやり直しになるから
どの農家もまだ待ちの状態です。
白鳥が今年遅いのはこの田んぼの雪が原因。
昨秋の刈り入れ時の落穂などを食べるから
雪に覆われた状態では食糧確保に苦労するのです。
だから行く先々の環境を本能で感じてか
田の土色が見え始めた頃に大量飛来
いくつもの群れが
北の空に向かって飛んでいきます。
そうなるといよいよ新十津川町も
本格的な春到来。
本当に体いっぱい春を感じるようになります。
旅のひとたちぜひ白鳥を
そして北国の遅い春を感じてください。
特に朝夕、それは壮観だよ!!
第153話
《東風(こち)吹かば……》
2012年3月21日
「東風吹かば 匂いをこせよ 梅の花
主なしとて 春な忘れそ」
西暦901年、時は平安時代
右大臣・菅原道真が九州大宰府へ左遷される時
庭の梅の木との惜別を歌ったとされる和歌との事。
古典の授業は苦手だったけど
この歌だけは記憶に。
理由はいくつかあるんだけど
その中の一つが
歌の題材が桜でなく梅であったこと。
色々調べてみると当時の和歌には
梅の方が圧倒的に多いとか。
日本というと「桜」だと思ってたけど
いにしえの昔は「梅」だったんですね。
これにも理由が色々あるんだろうけど
わたし的に考えるに
梅はまだ肌寒い枯れ野の中でも
視覚だけでなく
肌に触れてくる風やそして匂いなど
その五感に微妙な変化を感じさせる
「春」
まさに春到来そのものの花だったかではないかと。
いつの時代でも雪国でなくても
春を感じさせるものには
人は自然と心躍ったんですね。
梅は早い地方では
2月の初旬には咲き始めるとか聞くけど
ここ空知で私は梅を見たことがありません。
全国の梅林のニュースなんか見てると
白だけでなく、ピンクや赤
そしてそれらがミックスした
艶やかなしだれ梅まであるんだとか。
何か話を聞いてるだけで
春のにおいも感じます。
第152話
《お湯の中にも 花が?》
お風呂に入って必ず歌ってるのが
父だけど、これが祖父もで
弟までもよく歌ってたから
もしかしたら血筋かもって。
わたし?
時々は……
で、その時の祖父の歌は決まってて
「お湯の中にもこりゃ花が咲くよ
ちょいなちょいな」
「朝寝朝酒朝湯が大好きで
それで身上つぶした。
もっともだもっともだ」
そう、草津と会津磐梯山
正式な曲名までは知らないんだけど
これがとても合うというか気分良さそうで……
空知中央病院のお風呂も温泉で
患者さんたちの治療を兼ねた楽しみの一つ
院長先生もお気に入りで
診察の後、一番最後は決まって先生が。
そこではいつも民謡や歌謡曲など
色々な音楽がかかってるんだけど
「今日は音が出てないよ」
なんて言う日もあるというから
先生も音楽に合わせて歌ってるのかもね。
その温泉に最近花が咲いたって
患者さんたちの間で話題に。
これ湯船の中に咲いたわけではなく
室内に飾ってあった観葉植物が大きく育ち
純白の大きな花が。
「枯れるかも」
なんて最初心配してたのが
どうも環境に合ってたみたい。
「楽しみがまた一つ増えた」
って、みんな喜んでくれてます。
第151話
《油断大敵 一転吹雪だよ!!》
3月19日
やっぱりというか
今日は朝から吹雪いています。
それも時には強く
そして道路も周りもまた真っ白。
「もう春だなんてはしゃいでるからよ」
って先輩の言葉だけど
だけど雪質がしめっぽく
体にまつわりつくようにはなってるから
春が近づいてるのは実感。
だから?
ではないんだろうけど
たぶん「飛び石の休日利用で」
だとは思うんだけど
窓から見てたら
今日の一番列車には9名の乗客が
それに待ってる人も複数!!
駅ノートに
「客は自分だけ」
なんて記述が多くなってたから
とても心配してたんだけど
駅がにぎやかになってくれると
病院全体にも活力が
元気が出てくるから
ほんと、旅の人たち
新十津川駅を訪ねてきてね。
そして列車を降り立った時
駅舎を見た時
駅舎の中に入った時
そこでふと頭に浮かんだこと
ぜひ駅ノートに書いてください。
第150話
《春いちばん!!》
2012年3月17日
関東以西からは春一番の声を聞くけど
今朝のテレビニュースで
札幌大通公園のチューリップの芽が
出てきたって言ってたから
北海道も春近しかな?
事実、病院の植木の葉っぱが
雪解けの間から顔を出してきたし
新十津川町中心部の路上には
裏通りにだってもう雪はないし
後は歩道上だけ。
それに今日はいやに暖かく
強い風が吹いているから
「これ、春一番かも!」
なんて思ったり。
でも2、3日後にはまた寒くなるというから
春はいつもと同じくらいのペースなんだろうな。
そう、本当なら
白鳥が本州から戻ってきて良い頃なのに
声を聞いたっていう人はいるけど
まだ見かけないし
札沼線(学園都市線)も
新十津川駅も深い雪の中
まだまだ凍えて見えます。
旅の人たち
駅に降りたら気をつけて!!
こういった日の朝は
油断して列車をおりると
ホームですべっちゃうんだからね。
第149話
《毎日病院で遊んでるのって!?……》
2012年3月14日
これ友達が言うの。
「思ってたより楽な仕事そうね」
って。
リハビリ踊り(27話、92話)や
大カジノ計画(116話.139話)
クリスマス(113話)他のことを指して
言ってるのだけど
「遊んでるの?」っても
それは「少しはそうかも」って思うけど
……だって私たちが義務感だけでやってたら
患者さんたちだって気分が乗ってこないでしょ?……
仕事は決して楽ではないんだからね。
元々目が回るくらい忙しい中で
それにプラスしての話なんだから。
これらの委員会打ち合わせや活動時は勿論
レクリエーションやリハビリ踊りの時だって
病棟に残った人だけで全病室に目配りが必要
だからいつも以上に神経が張りつめてるんだから。
それにこんな話も。
あまり一般には知られていないみたいだけど
急性期型と違って介護型、療養型の病院は
その患者さんの病気の状態・重さによって
月々の入院費が定額で決まっていて
規定の直接医療以外の事をしたからといって
物質的に得るものはスタッフだけでなく
病院にとっても何もないって。
逆に更に忙しく、また収入減になるだけ。
でも私たちは物ではなく人を
それも社会に大きく貢献してきた人たちの
お世話をしているんだし
いつもチャレンジャーでありたいし
私たちがこういった職種を選んだ「プライドが」って。
それに人って気の持ち方一つで元気がでるでしょ?
友達?
今度だけは真剣に聞いてくれました。
第148話
《やっぱり春が……》
3月12日
この冬は何十年ぶりかの豪雪に寒気
2階から出ようかと思うくらいの積雪に
零下20度を超す寒さまで。
でも春は必ずやってくる。
スーパーなどでも
「何か春めいてきたよね」
って会話で弾んでいます。
外はまだまだ一面の銀世界だけど
光や風
そして寒々とした氷の下からも
何か暖かい息吹を感じるからです。
祖父はそのまた祖父から聞いた話として
今でも開拓当時の話をしてくれます。
防寒衣類も暖房設備も満足になかった時代
建物の壁も板一枚で
部屋の中でも凍りつく寒さだったと。
そんな環境下、カゼをひいても
医師どころか薬すらないことから
肺炎で亡くなる子供も多く
みんな小さくなって暖を取り
ひたすら耐え忍ぶしかなかったんだそうです。
だけど、だからこそ
「春が来る!!」
そしてそれを感じることができきた時の喜びは
それは言葉では言い表されなかったと。
人は夢を抱ければ、未来を感じ取れれば
生きる勇気も元気もわいてきます。
東日本大震災で被害にあわれた方々が
一日も早く春を感じられるよう
00の方々に切にお願いします。
これは私だけでなく、日本中
いえ世界中の人たちの思いだと……
第147話
《いま旅立ちの時③ ちょっと良い話?》
3月10日
吉野小学校は1905年に開校
全国どこも同じでしょうが
地域全ての人たちがここを卒業しました。
だからみんな心の一部になっています。
彼らは母村に近い吉野の山を再現しようと
卒業の度に裏山にサクラの苗を植えていきました。
そして吉野1000本というほどの名所となり
春には、山の頂上に向かって
すばらしい夢の色合で人々を魅了しました。
小学校の子供達だけでなく
地区総出のにぎやか花見会でした。
ただ少子化の波はこの山里に早く押し寄せ
平成21年に新十津川小学校に統合されました。
前回にも記したように
もうサクラの手入れをする人はいません。
学校は幸いにも「風の美術館」として
よみがえる事になったのですが
サクラは年月とともに朽ち落ち
人々の記憶からも消えていくのでしょうか。
私は何か寂しくなって落ち込んでいたら
卒業生からこんな話を聞きました。
平成21年4月、学校が統合され
最後の7名の生徒が新十津川小学校に移っていった時
彼らの手に吉野サクラの種から芽生えた
小さな2本の苗があったそうです。
そのサクラは正門の中庭に植えられ
今すくすくと育っています。
先祖たちが植え、手塩にかけ育ててきた
吉野サクラの子孫です。
将来そのサクラが満開に咲きほこる下
ふと子供達がそれを見上げた時
きっとこのエピソードとともに
吉野の山々を想いおこし
また後輩たちへと語り伝えてくれるでしょう。
その人はそんな事を笑顔で話されていました。
第146話
《いま旅立ちの時② ちょっと良い話??》
3月9日
前回の小学校廃校の話の続きを。
新十津川神社横の尋常小学校跡
そして学園小学校跡、幌加小学校跡
の写真を掲載したけど
その学園地区と幌加地区の間
この日記に以前からよく登場する地名
吉野地区に吉野小学校がありました。
「吉野」
その地名はつまり奈良県吉野郡十津川村
新十津川人の心の故郷
「神が宿る」と云われた吉野山にちなんで
つけた名前なのでしょう。
奈良県吉野といえば全国屈指の「さくら」の名所
そこは古代から山岳宗教修験道の場としても知られ
今から1300年前、修験道の祖「空をも飛ぶ」と
云われた呪術者“役の行者”が金峯寺の蔵王権現を
さくらの木に刻んだことから始まるとされます。
下1000本さくら、中1000本、上1000本
奥1000本と称えられ
奈良・平安期を通じ歴代の天皇にも縁が深く
また古今和歌集など多くの歌人に
そして松尾芭蕉といった俳人にも詠まれ
太閤秀吉が徳川家康ほか諸大名など
5000人を集め大花見大会を催した事でも有名です。
ここ新十津川町吉野の小学校裏山は「夢色の森」
と呼ばれていて、そのシーズンともなると
本場吉野山をほうふつさせるがごとく
山全体を艶やかに染めあげていました。
「あげていた」
というのは、それら木も多くがすでに古木
吉野1000本と云われたその数もその面影は無く
その姿も風雪にさらされ傷んできているからです。
冬は豪雪地帯、地域の人たちも高齢化し
とても桜の手入れまではできません。
また話が長くなってきたから
続きは次回まで待ってね。
第145話
《いま旅たちの時》
3月6日
全国的に卒業式が。
何かさみしくもあり
新たな期待に胸ふくらむ時でもあります。
わたし思うんだけど
学校っていつまでもふしぎな感覚を
呼びおこす場所だって。
卒業後、母校の前を通るだけで
何か気持ちが引き戻されるというか
車を運転している時でも
校舎や校庭を斜めに見ながら
制服を着た生徒たちの中に
ふと自分の姿を捜したりします。
両親に聞くとこの感覚は、少なくとも
自分の子供がそこに通う年代になるまでは
決して消えないって言います。
「じゃあおじいちゃんは?」
って祖父に聞いてみると
それにプラスして新たな意見が。
学校、特に小学校は開拓当時から
子供を持つ家庭だけでなく
地区全体の中心であり
憩いの場所でありコミュニケーションの場
運動会、盆踊りだけでなく
何かことあればみんな小学校に
集まったと言うのです。
今それら小学校は統合され
新十津川小学校だけになりました。
それも新しい場所に。
祖父、いえ両親にしても
「自分が学んだ学校がなくなっている
それが一番さみしい」
って……
私もちょっぴり悲しくなってきたから
続きは明日ね。
第144話
《1年がたって これが最終稿に……》
3月2日
前々回ひな祭りの事を書いたけど
この日記を始めたのが昨年3月3日。
今日3月2日だから
ちょうど予定の1年になりました。
年52話の予定で始めた頃は手探りで
何をどう書いていいのか戸惑ったのだけど
周りのみんなの応援もあって
色々な情報をもらったり
写真をもらったり
そして途中からは「エイ、ヤー」の気合で
思ったことをそのまま活字に。
だからここまで、144話までこれたのだと。
で、これからどうすれば?
と年明けからずっと考えていたんだけど
友達やみんなが
「読んでくれてる人が全国にいるんだから
まだ走れるなら走ったら」
って言ってくれ
それに去年始めたころは週1回
3月から5月までの情報量が少なかった事や
また本当なら過去や結果だけでなく
「来週の新十津川駅はこんな感じだよ!」
なんて、旅の人たちが
実際に町や駅を訪れてくれる頃の
周辺景色の予想情報も出すべきだったんだけど
その写真もなく
あと出しあと出しとなってしまったし
だから
今年のコスモスが満開になるまでは
がんばってやってみようと。
全国のみなさん
今年も札沼線(学園都市線)と
新十津川駅をよろしく!!